「この受け答えでよかったな?」
「これがプレゼントで大丈夫かな?」
「この対応でよかったかな?」
「このタイミングで笑うの、合ってたかな?(失礼だったりしたかな?)」
などと、帰りの電車では反芻する日々。
わからないことで悶々とするのは、もう慣れたのかも。
”どうありたいか”が大事だと色んなアドバイスや本に書いてあったけれど、
どうしても今の自分は”どう思われるか”ということに執念を燃やしている。
そこまでどう思われるかに注力しているにも関わらず、
描いていた理想像とは離れていて苦しむのが、滑稽で、どうにかしたい。
「どう思われるか」を意識しているとさ、
自分が不透明になっていくのをしみじみ感じる。
「嘘つきや虚栄心は自己防衛なんだよ」って言われて、自己防衛しすぎな人生なんだなと切に思った。
自分のアイデンティティはいつもどこにあるかわからない。
こんなまま大人になっちゃったね。
本当の自分を出せなかったり、
抑えたりすること、慣れちゃってたみたい。
言われる言葉に弱くて、縮こまってしまうこと、これもまた受動的だと思う。
人からどう思われるかー
そこに注力している時点でさ、自分の人生を生きていないんだよね。
「どうありたいか」
それが明確であれば、それが芯となって、生きるのが容易くなると思う。
それが基準だから、あとあと「こうすればよかったの?」という答え合わせがなくなると思う。
どうありたいか。
ー人に偏見を持たずに関われる
ービビらない、まっすぐに向き合う
ー嘘がない、ハキハキしている
ー見栄がなく、ナチュラルでいる
ーよく笑う、よく食べる、よく寝る
ー健康的、元気
ー思慮深い
ー謙虚だけれども主張はする
ー自ら損に走らない
ー感謝を忘れない
ー(特に感謝や優しさを)言葉で伝えられる人
ー能動的であること(受け身で後悔する人生、よくない)
ー悲しむ、落ち込む、それ事態が自分で選んだ選択だ。悲観を真に受けるな。
頑張って生きよう。
ちょっとずつ、自分を深掘りしていこうね。
頑張れ!頑張れ!頑張れ!!!!!
大丈夫。ちゃんと自分のこと好きになれるよ。
好きになれるし、したいこと胸を張れるし、優しくなれるよ。
後悔しないで、卑下しないで、全部学び、活かせるよ。