日記のようなものだったり、ほとんど日記みたいなものです。

不安なこと

2024年、3月に心が確実に砕けた瞬間がわかった
もうちょっと頑張ろう、ではなくて、
「もう、立てないな」と力が抜けていく感じ。


クライアントとの相性とか、仕事量とか
そういうことに何かを思ってはないです。なんだろう、来るべくしてきた、とにかく運命かな。

 

もう少し頑張るぞ、との思いでしたが、
確実に砕けてしまったので、もう方向を転換するしかないです。
未来の良き方向を考えれば考えるほど、自分がここにいる未来が一切見えなくなった。
人には恵まれている方だし、給与も伸びていたし、ホワイトな方。
もう少しを続けても良かったのかもしれないけど。すごく折れてしまった。

だけど最後まで頑張らないとなあ。失礼な人では終わりたくない。
ああ早く、辞めたい。辞めたいというより、心が軽くなりたい。
退職したからといって、次の不安だってあるよ。
でも、不安な時に行動していると、自分の人生を生きている気がすごくする。
当事者意識ってこんなに強くなるのか、というより普段何も考えていないから、急に追い込まれる感じあるよね。。
今年は7月をフィンランドで過ごして、8月から新しく職場に行けるといいな。

最近は一人が全然さみしくない。
自分がしたいこと、興味あること、自分の話を自分で聞いてあげる(ナニコレ)ことが好きになりました。
自分の感性が好きになってきました。自分探しを遅れて開始しているようです。
自分がいいなと思った映画、小説、建物、デザイン、生活。
全てそれは希望になっている。自分の感性を知るのは楽しい。

東京に来てから、良くも悪くも自分中心に生きています。
恋人もいないし、友達も少ないから、仕事を除いては自分の時間が多い。
大阪にいた時は、人が多かったから、あまり興味ない付き合いにも参加したし、人と会うのも環境的に容易だった。

今は自分ばかりなので、自分の嗜好・居心地をすごく優先的に考えてしまう。

 

ここ数年、親孝行が一切できていないことが、心苦しい。
やっぱり「家族」という存在は、私にとって穴が多い。
家族のことを考えると、完成し切らなかったジクソーパズルを部屋に飾っているようで、心がざわついて落ち着かない。

実家には母と父の二人暮し。
お正月やクリスマスになると、到底二人じゃ食べ切れない量のおせちやケーキを写真に撮って、「帰ってくる?」と当日にLINEしてくれた母。
当日に来る連絡の時点で東京にいる私の答えは帰るわけないのに、無邪気にそんな連絡をくれるギャップに苦しかった。

去年、フィンランドに行くために関空経由だったので一泊だけ実家に帰った。
2年ぶりの帰省、1日というより一夜だけ。

その時の車で、「お正月帰ってくるの?」と言われて、
適当に、「お母さんたちが東京に来てよ〜」と言ったら
「それも考えてたのよ、でも嫌がるかもねって思って」と、母は言った。
この時、私がなんとなく距離を置いていることをちゃんと悟っているんだなと
互いの温度差が激しい時も苦しく思うが、私の心境を悟っている母を知るのも苦しく思った。

もう去年からおせち料理やクリスマス、外出先の時の写真を健気に母が送ってくることはなくなった。
心の負担は少し減ったけど、それはそれで罪悪感があって苦しいは苦しい。

「家族」なんだけど核家族で、現父には別の家庭もある。
本当の父は20年前からどこにいるかもわからない。姉は父親が違って10才歳上、あまり一緒に過ごす期間はなかった。
記憶は、いつも家で一人だった。
門限もなければ、成績について怒られることもなかった。高校受験も大学受験も自分で決めて進学した。
もしかしたら、関心を持たれたかったのかもしれない。
死ぬほど寂しかったなあ。
どうしようもならない過去に、未だに震えて眠れない日が来てしまう。

 

仕事を辞める、という話で最後は家族の話になってしまった。
大人になると何でも選択できるから、ありがたいです。
リスクもあるし、未来が怖いけど、自分の選択した数だけ強くなれる気がする。

2024年、無職になる〜〜〜〜〜〜〜のか〜〜〜〜〜〜〜????