日記のようなものだったり、ほとんど日記みたいなものです。

帰る場所がある人 / ない人

 

友達が失恋をして、仕事も辞めて、実家に帰ると。
その賃貸契約の負担など、すべて親が払ってくれると。

安心する場所に帰りたい。だから地元へ帰る。」と言ってきた友人を見て
なんだか少し憤っている自分がいた。なんて幼稚なんだ。そんな風に生きて恥ずかしくないの?とまで。(破茶滅茶に失礼だけど、そう思った。)
他人ごとなのに、なんでだろう。と。

昔から日々家族の話が耐えなくて、27歳まで実家暮らし。
28でやっと実家を出た彼女は、私からしては「ぬるいなあ」と思ってしまう。
と同時に、自分にはそうして甘えたり・相談したり・受け入れてくれると(思える)親族を持っていないから、反面ずっと羨ましかったんだとも思う。

私の友達の99%の友人は家族が健全だ。
家に帰ったら鍵が変わっていて入れなくなっていた、とか
「あなたはもう孫じゃないのよ」と祖父に言われた経験とか、想像すらしたことないだろう。

家族の話を聞くと、胸がキューっとなる。
でももし自分に帰る場所があったのなら、今よりも、もっともっと怠惰だったろう。
いまこうして、ひとりでなんとか東京に来て、働けているのは、これもそれも、いまの自分の境遇があってこそかもしれない。
「帰る場所がない」(拠り所がない)と薄々わかっているから、それが原動力という部分もひどく感じている。
もし、過去のように恋人と住んでいたら、実家にいたら、と考えると
きっと努力していなかっただろう。

自分のこころを擦り減らしてまで、誰かに縋りつこうとも思わなくなった。
なんども恋をして思ったけれども、私は一種病気なのである。
心の拠り所を作ってしまうと、それが壊れるまでずっと不安なのである。不安から抜け出したくて、最終的には手放したくなるのである。とても心臓がドキドキで、いつか手放されると苦しくて、恐怖の時間・期間になってしまうのである。
極端に不安を避けることができるのであれば、無職の定年退職・ハゲ・デブかつ全く外部と関わらないような人を好きになればいいんだろう。が、そんなことできるかぼけという話で。

出来るだけ、出来るだけ、平穏に行きたいと。
あとは自分の人生でみたい景色をちゃんと掴みに行こうと、もう人生それでいいじゃんと。
というかそれが究極じゃないかと。
ナチュラルで生きれるのであれば、その時間を多く持とうと。

慢心せずに慎重に。怯える日々だけども少しは前に。
怖いけれども勇敢に。しなければならないことは、する。
当たり前のことを当たり前に。
虎視眈々と、築いていく。貢献していく。

自分に乾杯ができる人生を少しずつ作っていきましょう。