日記のようなものだったり、ほとんど日記みたいなものです。

「好き」と「愛する」


「好き」:自分の想い、主語が自分
ex. 私はあなたが「好き」!、好意に躊躇がない、自分が幸せな状態

 

「愛する」:好きな人を考慮できること、主語が相手

ex. 相手にとって好ましい部分を応援できる、たとえそこに自分と相手との関係にマイナスがあろうと、相手の幸せを尊重できること

 

 

こんな感じに思ってます。

 

だから今、わたしは恋人を、この3年ほど、ずっと「好き」だけど、
「愛する」と思う視点で見ると、途端にどうしても苦しくなってしまう。


私といることが、きっと彼の人生において頂点の幸せにはなり得ないと思うから。
(理由はいろいろ)

 


好きな人を、好きだと思いながら、愛を持って接しようと思うと苦しくなる。
それはなぜだろうというと、自分と彼はやっぱりどこかお似合いじゃないんだ。

もちろん、相手は好きな人。ずっとお似合いになりたいと思ってきたけどね。がんばったけど、ダメなもんはダメなんだと思う。そのために時々変に傷を負うのもなんか違うもん。

直感って、今までの蓄積だから、案外当たるんだよね。
直感で、わかるのでした。






私たち、「好き」同士にはなれたけど、「愛する」同士にはなれない。



もう同棲もして2年半かあ〜
今でも毎日彼を見るとキャーキャーするわたしです。

たくさん惚気たいわたしです。



でも「愛する」同士にはなれないから。

 

 


「好き」と「愛」が延長線上で繋がっていると感じる恋愛が素敵だなぁ。
わたしはそんな素直な想いを持って誰かを見れる日が来るのでしょうか。


好きな人を愛することが苦しいなんてこんな苦しみあるかよ!クソッ!
という日記でした。