日記のようなものだったり、ほとんど日記みたいなものです。

ふと過呼吸になりそうになる


一人で生きていくなんて、無理だ。
「寂しい」という感情は、を持たない人生がいい。
 

幸福とは、自分が実はひとりだということを、なるべく感じなくていい人生だ。

 吉本ばなな著『キッチン」』より引用

 

帰る家族があればロマンチックな気分なのだろうけれど、
私は本当のひとり身なのでシャレにならないくらい強く孤独も感じる。
でも、そうして生きてゆくのが自分にはいちばん合うような気さえした。


孤独だなとふと思うたびに吉本ばななさんの一節が浮かぶ。


お家も決まらないし、仕事も思うように決まらなくて、
久しぶりに地下室まで落ち込んだ。もうどうにもならないのね?私。。。みたいな。
その時に襲ってくる不安といえば、孤独になることで。
一番ぎゅーっと不安を感じたといえば、浪人生の時。
勉強さえしていれば、過去問さえ解いていれば、の世界だったのに、ダメダメ、孤独で一回道で倒れたのよ。信じられる?大袈裟でもなく、本当に道でしゃがみこんで立てなくなった。それくらい、不安が、孤独が、共有できないことは辛い。
高校生まで、人付き合いで苦労したことはそれほどなくて、大好きも大嫌いもさほどなくて、フツーに生きていれば関わる環境・属性があって、このままの時代が永遠に続くと思っていたけど、それはとても恵まれていたのだと大人になってわかるようになった。

大人になったら人付き合いも築いた人間関係も、すべてその人の価値と財産であると思う。
大人になったら全部選べるから。選べるから、いくらでもサヨナラもこんにちはもできる。場所も環境も選べるから、それでも尚選ばれ続けること、それでも尚必要とし合えること、それはとても尊くて、綺麗で、優しくて、強い。
私にはそんな尊くて、強い関係性があるのかと、迷っては苦しい。

不誠実なことも確かにしたことがある。
それ以上にとても向き合ったこともある。
どうしても見栄で強がりに生きてしまう弱さもある。

最後にどれくらいの人が私の元に残ってくれるだろう。と思っては怖くなる。
だからと言って人に媚びて安心したいなんて考えもまた、弱い。
そうじゃなくてちゃんと人間で向き合わなきゃ。自分で。


人の価値なんて、本当はみんな同じ要領なはずで、
そこに何を詰め込んでいるか、詰め込んでいるものが少ないか、多いか、濃いか、薄いか、実際はその程度のことなんだと思うけど、
どうしても、人と人が向き合う時間は儚いほど短い。
恋人でも友達でもなければ、たまたま出会った人にグイグイ向き合うことはない、というか、それほど時間がない。
だからスラッと伝わる肩書きがあれば便利である。一言でその人を表現するような。
わかりやすくいえば「経営者」とか。「インテリアデザイナー」とか。そんな類。
それだけ言われても中身はわからないけど、なんとなくイメージがつく。残る。

しばらく文章書かないと、話がグラグラんだ。


ともかく孤独が怖すぎるのです。
シェアハウスという村、大好きでした。
非現実な現実。好きだったなぁ。

次はリノベ賃貸×コミュニティ。(たぶんね)
私の苦手なおしゃ男子大学生がいっぱいおる?ぽくて、怖いんですけど・・・
あと建築とかデザインとか、秀でている人、若いのに!多すぎてね。


随分と、人生は予測とは程遠いんだと学んだ数ヶ月だった。

だからつまり、やってみないと全てわからないわけです。
就活がこんなに不調なのも、やってみないとわからなかったし、
お家探しがこんなに大変かとも、やってみないとわからなかった。
わからないことで溢れてます。ほんと。


どれもこれも、わからんです。
次はどんなクラッシャー飛んでくるの?怖いんですけど・・・
はあ。やってみないとね。わからんですね!

がんばろう。